無垢な子供
今週のお題「怖い話」
今日、熱が出て病院に行った。
日曜日なので、いつものとこは休みで、仕方なく別のとこに行った。
あまりキレイな病院ではなくて、入口に虫の死骸が‥
俺より先に親子連れがいた。その子供は、自分の順番がくるまでおとなしく待っていた。そして、診てもらう前と後にちゃんとあいさつをしていた。
おぉ~何ていいコなんだろう‥
私は微笑ましくそのコが帰っていくのを見ていた。。。
するとそのコはドアのところで小さく悲鳴をあげた。何かな?と思って見てみると、そのコの視線は入口のとこにあった虫の死骸を見ていた。
私は、このコぐらいになってくると、命の尊さをよく理解し、儚い命を感慨深く思って見ているんだろうと思った。
しかし、次の瞬間、その死骸を思いっきり蹴っ飛ばして一言…
「ここで死ぬな!!」
ある日の「一貫性の法則」
10:00に目が覚めた。
昨日も飲みに出掛けていたからだ・・・。
「なんだかなあ~。
なんでこんな時間に起きるハメになるんだろう、時間がもったいない」
と、心の片隅で、もう一人の自分がささやく声がした。
「だけど、今はお盆休み。別に休日位のんびりしてもいいではないか。そうだろう?」
やっぱり「いつもの自分」の方が勝って、「しっかり者のもう一人」はいっつも負けている。
そんなことはともかく、「いつもの自分」は、部屋の掃除を始めているから、偉いと思う。
「いや、あまりにも散らかしてしまっているから少しきれいにしないと、さすがにまずいと感じているにすぎない。」と、また「しっかり者のもう一人」が出てきて、うるさいったらない。
だが、この「いつもの自分」、ちゃんと墓参りは欠かさないところが律儀で、都合のいいことに車で小一時間位のところにそのご先祖様のお墓はあった。
暑い中、昼から出かけるとまだお墓にはまだ誰も来ていなく、この夏の先祖供養は自分が初めての参拝者のようだった。なんだかバカみたいだけれど「勝った」、そう思った。
お墓には枯れた花が、風に揺れ日差しを浴びて、そこに刺さっていた。
いったいいつのときの花なのか、なんだか空しい気持ちと一緒に寂しい気持ちが押し寄せてくる。
お盆って、こんな感じでいいのだろうか・・・。
それにしても暑い、と思いつつお墓参りを終えて帰るころには墓地もお墓参りの人で賑わってきて、少しだけ気持ちも開放されてきた。
ドライブしながら、やるべきことをした満足感に浸る自分がいた。
汗びっしょりだから夕方には一旦帰宅してシャワーを浴びて、18時の飲み会に間に合わさなければならない。
「今日の飲み会は、たくさんおしゃべりをしよう」そう思ったら、なんだかウキウキしてきてコロナ禍でも人と逢うことの楽しさがこみあげてくる。
「な、なに!?」
シャワーを浴びてたら、今日の飲み会キャンセルの連絡がはいった。
なんだか仕事が入ったらしく仕方がないが、「おい、おい~。今頃言うのかよ~」
人は、「一貫性の法則」といって、無意識のうちに自らの行動や発言、態度を貫き通したい、一度決めたことは最後までやりたい、といった心理に基づいて行動する生き物のようで、後戻りができなくなっていた。
代わりの人を慌てて探すことにして、やっと4人目。
はあ~ッ。
ようやく連絡のつく友人がいて初志貫徹できそうになり、ホッとする。
「よし!予定通り飲みに行くぞ!」
やけに気合が入る。
今コロナ禍でも、対策をしている店は開いているから大勢で出かけなければ問題もないと、ブツブツ言いながら、ちょっとだけ早めに家を出る。
「あ、来た来た!!」
待ち合わせした友人は「ごめん!遅くなって」と言いながらこっちに向かって走って来た。
「大丈夫だよ~」
だって1分くらいしか遅れていない。
そして自分は相手に大きく手を振り、友人も負けずに手を大きく振りながらこっちへ走ってきた。
「夜中まで飲んで、また即効ダウンするんだろうなあ・・・」
近くなってくる友人を待って手を振りながら、そんな確信を感じていた。
ゴリラは遊ぶ暇がない!
ゴリラって、子供の時は笑うんだって!
しかもケタケタと大爆笑を!
では、なぜ大人のゴリラは笑わないのか…
それは、子供のゴリラは遊ぶけど大人のゴリラは遊ばないから。。
大人になっても遊んでるのは人間だけなんだってさ!
じゃあ、ゴリラは何が楽しいのだろうか…
なぜ人間だけが我が世の春を謳歌しているのか?
てか、大人になっても遊んでいるのは人間だけだなんて…
人間で良かった(((o(*゚∀゚*)o)))